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エピキュリアンの備忘録

目的:毎日「書く」

死亡記事

大学でジャーナリズムの勉強をしていたとき、

有名人の死亡記事というものは、どの人もすでに書かれていて、

賞をもらったり、なにか偉大な業績をあげるたびに、

書き換えられている、と習った。

 

そのクラスの実習のひとつは、知人の死亡記事を書く、だった。

もちろん、いろいろでっちあげてよいという条件だったけれど、

尊敬していて、実績もあげている友人の死亡記事を書いた。

書きながら、すごい人だなあ、とさらに尊敬したのをおぼえている。

友人は今でも健康だし、新しい活動にチャレンジ中だ。

 

そのとき、ふと、自分の死亡記事を書くのも楽しそう、と思った。

人生で、こんなこと、あんなことをしたい、

というのが整理できるのじゃないかと思ったのだ。

不謹慎と言われるかもしれないが、

死は、誰にとっても100%起こり得るものだし、

そのときに準備ができている方がいいではないか。

神様に「ちょっと待って」とは言えないと思うから。

 

最近、「死の準備教育」=death education が広がっているときく。

日本では「死」そのものをタブー視して話題にしないような風潮がある。

けれど、その傾向がおそらく薄まってきているのだろう。

上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン氏が

「死を見つめることは、生を最後までどう大切に生き抜くか、自分の生き方を問い直すことだ」と唱えたのが、

日本でのdeath educationの始まりらしい。

調べてみると、書籍もたくさん出版されているよう。

 

死といえば、

電通過労自殺 長時間残業の解消が急務だ : 社説 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

連日、メディアでもたくさんとりあげられている。

広告代理店関係者の方と仕事でお会いするときにも話題になる。

金曜日の夜に公開、そのまま消えていってほしい、月曜日には、

という業界人の思惑は、かなわなかったようだ。

 

個人的には、

上司からは「君の残業時間は会社にとって無駄」などと、パワハラとも取れる発言があった」

に、根本的な原因があるのでは、と、パワハラを受けている最中の自分は思う。

今、この上司はどうしているのだろうか。

上司の上司や、同僚はどうしているのだろうか。

きっと、何もなかったようにただ、台風がとおり過ぎていくのを待つように、

じっとしているだけで、反省とかないんだろうな、と思うと

やるせない。